わろてんか|隼也とつばきの子供は藤一郎!モデルや役どころは?

 

朝ドラ『わろてんか』では、既報通り駆け落ちして結婚することになる隼也とつばき。

 

ふたりは大阪を離れて、神奈川県の川崎で暮らすことになります。

 

そしてふたりの間には藤一郎という息子が誕生し、てんはおばあちゃんになります。

 

いつまでも老けないてんからすればおばあちゃんなどイメージしづらいですが、

名前も今は亡き藤吉にちなんだ初孫が生まれることになります。

 

今回は藤一郎のモデルや役どころなどについてご紹介していきます。

 

 

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隼也とつばきの子供は藤一郎!モデルや役どころは?

 

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藤一郎のモデルとなっているのは、吉本頴右(えいすけ)と笠置シヅ子の間に生まれた

亀井エイ子さんです。

 

(笠置シヅ子)

 

吉本せいはシヅ子と頴右の交際には大反対していましたが、彼女がエイ子さんを懐妊

したことで態度を軟化させたと言われています。

 

しかし昭和22年(1947年)5月に頴右が24歳の若さで病没。

 

その数日後にエイ子さんが誕生しているので、頴佑はエイ子さんの姿を見ることなく

旅立っています。

 

またエイ子さんの名前は父親にちなんで名付けられています。

 

そして吉本せいはシヅ子が芸能活動をしていたこともあってエイ子さんを引き取ることを

提案しましたが、シヅ子はこれを断っています。

 

そのためシヅ子は乳飲み子を抱えながら舞台を務めることになりましたが、「夜の女」や

「パンパン」などと揶揄されてしまいます。

 

しかし親交のあった服部良一や榎本健一などの支えもあって、芸能活動を継続することができました。

 

しかもシヅ子のそうした姿は生活のためにやむを得ず売春をおこなう女性たちに深い共感を

与えて、そのような女性たちの多くがシヅ子の後援会に入会したというエピソードも残っています。

 

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シヅ子は昭和32年(1957年)に歌手を廃業して女優に転向していますが、その際にテレビ局や

映画会社を回ってギャラのダウンをお願いしています。

 

これはエイ子さんを育てていくために、少しでも多くの仕事を得るために申し出たことを

後年にエイ子さんが明かしています。

 

成長したエイ子さんは芸能界とは無関係の一般人として生活しており、その後なども不明です。

 

何度か母親のシヅ子についてのインタビューなどに応じているようですが、基本的には

表舞台には出て来ていないようです。

 

このようなエイ子さんがモデルとなっている藤一郎ですが、性別も違いますし、

モデルの造形は微塵も残っていないように思われます。

 

と言いますか、隼也やつばきも含めて、この一家はもはやすべてがドラマオリジナル

と言っても過言ではないくらいです。

 

また藤一郎が登場するのは昭和14年(1939年)のことですが、ドラマが終了するのは

昭和20年(1945年)あたりです。

 

その頃の藤一郎はまだ6歳くらいなので、ドラマでも大きな役割を果たすことはなさそうですね。

 

とは言え、前出の亀井エイ子さんがご健在であれば、藤一郎や祖母がモデルのてんなどを

どのような気持ちでご覧になられているのか気になるところです♪

 

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